わたしの家にいる、ねこたち
「のら3ゃん」。
一番最初に出会ったのは、
くろねえさんでした。
2010年10月16日に、家から少し距離の離れた
神社を初めてお参りした時に、出てきて
くれたんです。

わたしは、それまで
ねこに触れた経験がほとんどなかったのに
足元に、顔をすりすりしてくれたのが
それはもう、うれしくて!
それから毎日、わたしは毎朝
くろねえさんに会うために
神社に通いました。
家に連れて帰りたかったけれど
当時、わたしは経済状況が思わしくなかった上
初めて仲良くなったねこが、くろねえさんだったので
当然、ねこ経験はゼロ。
責任をもって一緒に暮らす自信が
ありませんでした。
なので、わたしにできる
毎朝通っての後方支援を続けていたんです。
そうしたら。

神社のご加護なのか、くろねえさんの神通力なのか
だんだんと、わたしの生活が
綱渡りなりにも安定(?)してきて、
くろねえさんよりも先に、しろくろさんを
家に入れることになりました。
なので、
もうねこさん、家にいるんだし
くろねえさんにも来てもらおう!
…と思ってお誘いしたんですが
断られてしまいました。
実は、くろねえさん…

先代の神社親分に喧嘩を吹っ掛けられたのを
見事返り討ちにして、親分になったんです!

子分ねこもたくさんいて、充実の毎日だから
神社を離れたくなかったんですね。
だからわたしは、引き続き
毎朝神社に通って、後方支援を続けました。


しろくろさんに、ねこのルールを教えて
あかるちゃんを毎日鍛えて。
後進育成に力を注ぐ姿を見ると
実は今も、器の大きな親分なんだな
…なんて思います。
ちなみに、本名の「かしこ」は
神社の祝詞
畏み畏み申す (かしこみかしこみもうす)
から頂きました。
なので、漢字で書くと「畏」です。
冬になると、体重が7kg近くになる
ビッグボディですが…

手足もしっぽも短くて
コロンとしてて、かわいいです!
「のら3ゃん」。
一番最初に出会ったのは、
くろねえさんでした。
2010年10月16日に、家から少し距離の離れた
神社を初めてお参りした時に、出てきて
くれたんです。

わたしは、それまで
ねこに触れた経験がほとんどなかったのに
足元に、顔をすりすりしてくれたのが
それはもう、うれしくて!
それから毎日、わたしは毎朝
くろねえさんに会うために
神社に通いました。
家に連れて帰りたかったけれど
当時、わたしは経済状況が思わしくなかった上
初めて仲良くなったねこが、くろねえさんだったので
当然、ねこ経験はゼロ。
責任をもって一緒に暮らす自信が
ありませんでした。
なので、わたしにできる
毎朝通っての後方支援を続けていたんです。
そうしたら。

神社のご加護なのか、くろねえさんの神通力なのか
だんだんと、わたしの生活が
綱渡りなりにも安定(?)してきて、
くろねえさんよりも先に、しろくろさんを
家に入れることになりました。
なので、
もうねこさん、家にいるんだし
くろねえさんにも来てもらおう!
…と思ってお誘いしたんですが
断られてしまいました。
実は、くろねえさん…

先代の神社親分に喧嘩を吹っ掛けられたのを
見事返り討ちにして、親分になったんです!

子分ねこもたくさんいて、充実の毎日だから
神社を離れたくなかったんですね。
だからわたしは、引き続き
毎朝神社に通って、後方支援を続けました。
そして6年が過ぎた、2016年12月28日。
若いねことの喧嘩で負った傷を
治療するために、動物病院に
連れて行ったことをきっかけに
親分を引退してもらって
家ねこになりました。

傷を負いはしたものの
いつも通り神社にいたんですから
喧嘩には勝ったんだと思います。
負けてたら、神社から
追い出されてたはずですから。
でも、今までは圧倒的な力で
無傷の勝利を重ねていたのに
この時は、治療が必要なほどの
傷を負ってしまった。
傷を負ってしまった。
その事実で、おそらくは
くろねえさんの気持ちにも
ひと区切りついたんじゃないかと
思います。
常勝無敗のまま引退。
一番、理想的な形での
幕引きになったんじゃないかと思います。

それからは、脱走などを企てるような
こともなく、家の中でのんびりと
こともなく、家の中でのんびりと
暮らしてくれています。
しろくろさんに、ねこのルールを教えて
あかるちゃんを毎日鍛えて。
後進育成に力を注ぐ姿を見ると
実は今も、器の大きな親分なんだな
…なんて思います。
ちなみに、本名の「かしこ」は
神社の祝詞
畏み畏み申す (かしこみかしこみもうす)
から頂きました。
なので、漢字で書くと「畏」です。
冬になると、体重が7kg近くになる
ビッグボディですが…

手足もしっぽも短くて
コロンとしてて、かわいいです!
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